今月の日刊誌
| 04年 12月の 日誌 (写真をクリックすると大きくなることもあります。ならないことも) |
| 12月31日 |
| 15日から29日までの日誌を別の所に書きました。そちらを見てください。 |
| 12月14日(火) |
| 昨日は地平線通信301号の発送。301号はこれまでになく厚い通信で、なんと背文字入り。封筒詰め作業は簡単だった。終わると直ちにKAI宝さんのお手製のウドンをいただくことになった。そのために今回は榎町の区民センターの調理室が発送場所だったのだ。 と書いたところで時間切れ。明日早くミャンマーへ行きます。今回はスローライフのTUJIさんと一緒で、ミャンマー流スローライフを会得してきます。お楽しみに。 ということで、このホームページはしばらくお休み。再開は年明け。それではみなさんよいお年を!! |
| 12月11日(土) |
昔の卒業生で沙原の会で活躍していたTERA澤くんはカメラマンになった。全国をくまなく歩き、桜、紅葉の写真を撮っている。毎年中央郵便局で桜の写真展をやっているが、私はここのところ毎年見に行っている。その彼と新宿で会った。この前の中越地震の前に山古志村に撮影でたくさんの写真をとった。その場所が今は崩れ大変な状況になっている。何とかできないかと「復興祈念ポストカード」を作った。その話は彼のホームページで知っていた。このページはなかなかすごい。ぜひ見てください。そして中越地震の被災地の復興にご協力をお願いします。 http://www.hideji.com/ ![]() ちょうどその後新宿で昔の地学部の忘年会があったので、そこに同行して「後輩が頑張っているので協力を!」と何冊かのカードを買ってもらった。こういう企画はいいのだが、メール等では協力すると言っても、直接会わなければなかなか売れるものではない。他のことでも同じだろう。こんな時代だからこそ、人とのつきあいはメール等ではできない。消息は知っていても、本人と顔を合わせてこそ、意志が少し通じるのだろう。地学部勢は最近ヒマそうな私を誘ってくれる。年寄りを呼んでもおもしろくもないし、資金を持っている訳でもないのに、ありがたいことだ。卒業以来20年以上たつそうで、いいおじさん、おばさんになっている。こんな人たちに遊んでもらうのはうれしい。 その後、大久保に移動、ここではモンゴル同窓会。6月に出かけた先発隊の人たちは、TA口さんの友人宅に民宿をした。酔っぱらったTA中さんは、民宿の主人に深夜に酒を買ってきてくれ!と暴言を吐いたらしい。その主人は今度ヨーロッパのさる国の大使さまに就任した。酔いの醒めたTA中さんはひたすら恐縮していたが、もう遅い。来年の6月 、その某国にTA中さんご一行お詫びツアーを行うことになった。今日のテーマは餃子パーティー。水餃子をこの写真の手前にあるガラスの灰皿のような皿に盛って、自分の取り皿に移して食べる。この「ガラスの灰皿」がポイント。じつはこの灰皿は岩塩でできている。ここに水餃子をのせると岩塩の塩味がちょっと移って、いい味を醸し出す。こんな食べ方がはじめてだが、やみつきになりそうだ。SE根ダンナとTA中さんが、なれない手つきで120個も作ってくれた。ありがとうございました。 |
| 12月10日(金) |
| 来週からミャンマーに行く。前回撮った写真をプリントしてお土産に持っていくつもりだったのだが、その写真CDが見つからないので、一日中探し回る。パソコンの中に入れておくと、クラッシュしたときになくなるので、CDに移し替えておきたのだが、そのCDが見あたらない。さんざん探し回ったあげく、いつも使っている音楽CDの中に混じっていた。 お茶の水まで行ったついでに秋葉原に寄ってみた。電気街のはずれにある小さな店が私の御用達の店だ。先日は1万円の液晶モニターを買った。何となく見て いたら、中国人の店員さんが東芝のモバイルパソコンをケースに入れた。ミャンマーに持っていく小さなパソコンが欲しいなと思っていたところだったので、「いくら?」と聞くと1万5千円という。本当に使えるの? と聞くとダイジョブという。試してみたがちゃんとウインドウズは作動している。LANをつなぐカードを500円で買った。フロッピーは外付け。CDはない。USBがついているので、ソフトのインストールは大丈夫のはずだ。家に帰ってチェックしている内に夜も更けた。でもスベテオーケー。やったー。こんな値段でモバイルが手に入った。ミャンマーでは写真の取り込みに使おう。「また買ったの!」と怒られることは必至なので、奥さんにはまだ黙っている。 |
| 12月8日(水) |
| 「みわ塾」の日。最近はドロナワ的になってきた。早起きをして教材つくり。映像は月曜日に作っておいたのだがテキストがまだできていない。一応オリジナル品だから結構時間がかかる。現役教師の頃には、こんなに時間をかけられなかった。今回のテーマは「雪」。先日送ってもらった札幌の大雪に写真も使わしてもらった。 8日は何の日か! 近頃の若者はこんなことも知らないようだ。・・・それから先頃発表された中学生の学力低下の話題などから講座は始まった。学校の制度や授業内容をポリシーも何もなく勝手にいじくり回していい結果が出るわけはない。週休2日にして、授業時間を減らしたのだから、その分だけ知識の量が減ることは最初から覚悟の上だ。知識ではなく、生きる知恵をつけるのが最大の目的だったのだから、学力(知識の量)が減ったからって、それはしょうがない。 学力低下よりも問題なのは、生徒の意欲低下だ。今回のテストでも記述問題には相当量の白紙回答があった。反抗的になっているのではない。○×や選択問題なら答えるが、自分で文章を書く気がない、あるいはできないという生徒が増えているのだ。 あれやこれや様々に言われる環境のなかで、どうしたらいいのかわからない、周りに対しては目をつぶっていた方が賢いやり方だと彼らなりに考えている。そんな教育環境を作ったのが我々だ。 もう少し子どもたちのことを考えた教育(下手な改革なんぞはやらない方がいいのだ)をしなければいけない。それの大前提は、余計なことはしなくていい。ただ親や先生が子どもと接する時間をできるだけ長く作ってやることだ。 放課後、早く帰れなどと言わず、ズルズル、ダラダラ遊んでやることだろう。私はそれだけはやっていた。おかげで、昨今卒業生が今度は逆に遊んでくれる。今日のみわ塾にも、久しぶりに「話が聞きたくなったよ」と言って、若い卒業生が来てくれた。これは私にとってうれしいことだ。社会にとってもこんな若者たちがいることはよいことなのだ。(古い卒業生の方々ゴメン、古い方々が来てくれるのはもちろんもっとうれしいのです。) |
| 12月7日(火) |
| 天気のいい火曜日は、ヒマ人も忙しい。9時から11時まで近所のおばさんたちとのテニス。毎日やっているおばさんたちは上手なのでコート上を走り回ることになり疲れる。家に戻ってシャワーを浴びて12時の電車で新宿経由三鷹台まで行き、R女学院で週1度の地学講座、たいていは走って家に帰るのだが、今日は中野坂上のACTMANGの事務所でミャンマー行きの打ち合わせと言いながらKO後さんと雑談。超アナログ派だったKO後さんも最近ビデオ、パソコンとハイテク兵器を取得した。そのハイテク製品とどう折り合いをつけていくのか見物だ。 中野坂上からわが家へ帰るのは電車だと何回も乗り換えがあって遠回りになる。バスなら乗り換えなしなので、バス停で待っていたが、いっこうに来る気配がない。歩いてもそんなにかからないだろうと、早足で家路に。1時間20分で帰着。最後に汗をかいたことで、充実した一日になったような気がする。 |
| 12月5日(日) |
12月というのに25度もあるとんでもなく暑い日だった。温暖化は気象庁などの 予測よりもはるかに早く進んでいるのではないだろうか。東京では風の強い、暑い日だったが北海道は大雪になったという。札幌のクマさんからこんな写真が送られてきた。日本は広いのだ。しかし、この暑さ、いったいどうなっているのだ。季節はずれの台風27号が、衰えながらも日本列島を通過した後遺症のようだ。この時期に台風というのも季節が狂ったとしか言いようがない。 温暖化の原因は人間の生産活動による熱とそれに伴う二酸化炭素の温室効果であることは分かっている。二酸化炭素を減らさなければ、まだまだ気温は上昇する。世界中の有識者が集まって「京都会議」が開かれ、これ以上CO2を増やさないようにしようという議定書が作られた。ヨーロッパ主導の会議だったので、日本は主催国なのになかなか腰を上げなかったが、やっと参加をし、先頃ロシアも加わった。ところが最大のCO2排出国であるアメリカは反対し続け、つい最近「これに参加したらアメリカの産業は壊滅する」と言って、またもや拒否をした。 地球規模の問題は自己責任というわけにはいかない。彼らが参加しなかったら、必死に我慢をしている我々も被害を受ける。止めてくれ! といっても「やだよ」と言われたらどうしようもない。直ちに「経済制裁」でも加えてやりたいところだが、相手が強すぎるんで、今のところ打つ手はない。このまま温度上昇を座視するしかないのか!・・・・かなり腹が立つのだが・・・・ |
| 12月4日(土) |
| 「望星」という月刊誌がある。表紙の絵はNA野亮之介さん、OKA村隆さんが編集長をしている。発行は東海大学の教育研究所だが、一般書店でも売っている。最近は軟弱雑誌のみが生き残り、このようなきちんとした視点をもった月刊誌は少なくなっている。ここ数年間毎号読ませてもらっているのだが、「その通りだ」と膝を打つような論がいつもあり、送られてくるのが待ち遠しい。 宮崎県の綾町にある日本有数の照葉樹林を伐採して送電線の鉄塔をつくる計画に対して、異議を差し挟んだ地元の人たちの意見を採り上げ、大きな論議にしたのがこの雑誌だった。まだ計画は止まっていないようだが、少なくとも照葉樹林がいかに大切かを認めさせる力になったことは確かだ。もうちょっとこの雑誌がみんなに読まれていたら、完全にこの計画が止まって世界遺産に登録されたはずなのだが。皆さん、ときどき手にとって見てください。 今月号には志賀高原の山小屋にたった一人で40年、山の番人として孤高の姿を多くの人の心に刻んで逝った「オヤジ」を追憶するTAKA山さんの記事が出ていた。昭和32年から一人で志賀高原の焼額山のおくの雑魚川に山の主みたいなオヤジが住んでいるという話を聞いて、その小屋に居候をしていたTAIRAさんを訪ねたことを思い出した。あれはいつ頃のことかと思い返したが、私には日記などの記録がない。そういえば、「あるく、みる、きく」の特集をTAIRAくんが書いていたことを思い出し、押入の奥に積んであった「あるくみるきく」の中からその号を探しはじめた。探すこと1時間、実際には「ああこんな特集もあったなあ」と読みふけった時間のが長かったのだが、ついに見つけた。1977年8月号、志賀高原−雑魚川辺−。TAIRAさんの文だった。その年の3月頃、深い雪の中その小屋にやっとたどり着いた記憶がかすかによみがえった。その時に見たオヤジは、今の私よりもはるかに若いはずだが、はるかに円熟の人に見えた。そうだったのだ、あの人が志賀高原の自然の番人だったのだ。 |
| 12月3日(金) |
| 12月3日といえば秩父夜祭りの日だ。ここ数年は行っていないが、その昔は何回も見物に行った。底冷えのする秩父盆地ではこの3日間は熱気であふれる。闇の中で白い湯気が各所で上がっている。屋台を引く人たちの熱が上がっているのだ。 今年は暖かい。それでも秩父は冷えているだろうと期待していたのだが、一昨日、昨日の飲み疲れでのどが痛い。珍しく風邪引きの様相で、秩父行きの気力が鈍った。残念だが、テレビで見るだけにする。 |
| 12月2日(木) |
SI島さんの友人のKAI畑さんが10ヶ月か けてシベリアを走って横断した。彼女は一昨年アメリカ大陸4千数百キロ、昨年はヨーロッパをリスボンからモスクワまで5千キロ、そして今年は1万キロを走破してしまった。今回はロシア人、ベルギー人との3人で走り通した。彼女は倉敷の人だが、今回東京に来たのでSI島さんが音頭をとって鷹の台のアスペンというスパゲッティ屋さんでお祝い会が開かれた。彼女のコースをアドバイスしたAN東くんも藤沢からやってきた。壮行会は「みわ塾」の日と重なったので、私は出席できなかったが、今回は塾頭さん、FU原さんも参加して、スライドを見ながら、1万キロの道のりを一緒にたどらせてもらった。 ロシアの町々で大歓迎をされたようで、かなり泊めていただいたロシア人の家庭と食事風景だった。走って世界を回ると言ったって、ふつうの人には分からないと思うのだが、ロシア人は気安く泊めてくれたようだ。日本人はロシア人を好きではないが、ロシア人は日本人のことが好きなんですよ。と彼女は言う。 原爆実験場のあとで今でも多くの人が亡くなっている村でも泊めてもらったという。夫も子どもも白血病でなくなり、自身も病に冒されている人の家庭でもランナーを暖かく接待してくれたという。 シベリアに入ると、そこここにロシア軍に捕虜になって、強制労働の末に亡くなった人々の粗末な墓が出てくる。多くの恨みを残して死んだ人々がたくさんいたことを感じながら走り、ウラジオストックに着いた。ロシア人のランナーは膝を痛めてリタイヤしたが、最後まで一緒に着いてきてくれた。 富山空港に着いた後、故郷の倉敷に向かって走った。ベルギー人ランナーはさらにオーストラリアへ行き、現在もまだ走っているという。彼は世界一周マラソンをやり遂げるだろう。KAI畑さんも、もう地球地球2/3は走った計算になる。でも「夫が寂しいって言うから帰ってきた」そうだ。そうなんだ、夫も子ども(娘さんがアメリカ横断の伴走をした)いる女性が、こんなことをできる時代なのだ。飛んでいる主婦のFU原さんもさすがに感心して話しに共感していた。すごい話をきいて、楽しい夜だった。 |
| 12月1日(水) |
| 娘から、工事の人が来るので留守番に来てくれとの依頼。孫の離乳食講習会に行かなければならないから、工事の人にお茶をだしといて! 昔ならそんなの知るか!と断ったろうが、孫の重大事となれば、ヒマな爺さんとしては出かけなきゃならない。一日お茶を飲みながら、床工事の仕事を見ていた。これぐらいは私にもできそうだと思っていたが、プロはさすがにプロだ。それはまず段取り、本来の工事にかかる前の下準備が違うのだ。何時間も外に出て見学していたらすっかりからだが冷えてしまったが、いい勉強をした。部屋はすっかりきれいになった。 夕方近くの病院に入院しているKAZA間さんのお見舞いにいった。しかし外出中で、8時過ぎにならないと帰ってこないという。外出ができるようになったのなら、見通しは明るいのだろう。あすまたいってみよう。 ![]() 家に帰ったら、山岳耐久レースの「賞品」が届いていた。新素材のかっこいいウエァだ。10月に行われた長谷川恒男カップのレースは奥多摩の山を72km、24時間以内で走る。スタートが午後1時だから、どうしても真夜中にも走ることになる。今年はそれに加えて大雨だったので、リタイヤ組が多かった。おかげで私は60歳代の部で入賞していたのだ。あとで聞いたが、その時には家に帰って風呂に入ってもう休んでいた。 その時のことは前に書いたが、写真はなかった。遅ればせながらその勇姿を掲載しておこう。見る人が見ると、背景がまだ暗い、すなわち夜明け前にゴールしたことが分かるのだ。「自慢しやがって、イヤミな奴だなあ」との怨嗟の声が聞こえそうだ。 近所に住む中学時代の同級生から誘いがかかり、出かける。家から30mのところにある新しくできた料理屋にいるという。地元にズーとすんでいる同級生はすくなくなった。40数年の時間が昨日のように埋まる。気分良く酔った。 |
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